年回は地域によっては年忌ともいわれ、その呼び方は異なりますが、人が往生して後に営む法縁を意味します。特に人の没後、七七日(四十九日間)を中陰といい、その後、一年・三年・七年・十三年等と続いて営まれるものを年回といいます。
【中陰】
中陰とは人が死んで、次の生を受けるまでの中間の存在のことを意味しています。梵語「antara-bhava」の訳で、中有・中蘊・中陰有などと訳され、この期間中、死者は中有に迷ってどこにも転生しないといわれます。
そこで経典の中には、七日毎に追善供養することによって、死者がより善い所へ生まれるよう勧めるものもあります。
慧琳(えりん|真宗大谷派の学僧)の『三餘随筆(さんよずいひつ)』(明治27年刊)には
中陰七七日のことは、潅頂経(かんちょうきょう)の説なり。人死して中有の身を感ずること、七日生所定まらざれば、また更に中有形を得て七々四十九日には、必定して生所あり。ゆえにこれより中陰七々の法事を営む。これ諸宗の通式なり。
中陰の七七日(四十九日)についての教えは、『灌頂経(かんちょうきょう)』に説かれているものです。人が死んで中有(次の生を受けるまでの状態)の身を受けることについてですが、七日経っても次の生まれ変わり先が定まらなければ、さらに中有の形を受け続け、七の七倍である四十九日目には、必ず生まれ変わり先が決まります。そのため、これに基づいて中陰(四十九日間)の間に七日ごとの法要を営むのです。これが様々な宗派における共通の作法となっています。
と述べられています。
ここに出てくる『潅頂経(かんちょうきょう)』巻10(大正大蔵経21巻、p.529c)には
命終の人、中陰の中に在りて身小児の如し。罪福未だ定まらず。為に修福して、亡者の神をして十方無量の刹土に生ぜしめんと願ずれば、此の功徳を承けて必ず往生を得。
命を終えた人は、中陰(次の生を受けるまでの期間)において、その身はまるで小さな子どものような状態です。生前の罪や善行による次の生まれ変わり先が、まだ決まっていません。そこで、残された者が亡き人のために功徳を積み、その魂が十方(あらゆる方角)の無数の仏の国に生まれるようにと願うならば、亡き人はその功徳を受け取って、必ず浄土に往生することができます。
とあります。
また『地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)』(大正大蔵経13巻、p.784a~b)にも
会中に一の長者有り。名けて大辨と日ふ。―中略―地蔵菩薩に問ふて言く、 「大士、是の南閻浮提の衆生命終の後、小大の眷属為に功徳を修し乃至斎を設け衆の善因を造らんに、是の命終の人大利益及び解脱を得るや不や」と。 地蔵答へて言く、「―中略―若し男子、女人有つて在生のとき善因を修せず、多く衆罪を造らんに、命終の後、眷属小大為に福利一切の聖事を造らんに、七分の中而も乃ち一を獲ん。六分の功徳は生者自ら利せん。―中略 是の命終の人未だ受生を得ざるとき、七七日の内に在つて念念の間に諸の骨肉眷属の、與に福力を造りて救抜せんことを望む。是の日を過ぎて後、業に随つて報を受く」
その集まりの中に一人の長者がいました。名前を大辨(だいべん)といいました。 ― 中略 ― 長者は地蔵菩薩に尋ねて言いました。
「菩薩様、我々の住むこの世界の人が命を終えた後、大小の親族がその人のために功徳を積み、お斎(おとき)などの法要を営んで多くの善い行いをしたならば、その亡くなった人は大きな利益や悟り(解脱)を得ることができるのでしょうか、それともできないのでしょうか」
地蔵菩薩は答えて言いました。
「― 中略 ― もし男性や女性がいて、生きている時に善い行いをせず、多くの罪を犯したとします。その人が命を終えた後、親族がその人のためにあらゆる追善供養の仏事を行ったとしても、亡き人が得られる功徳は七分の一(七分のうちのわずか一分)だけです。残りの七分の六の功徳は、供養を行った生きている者自身の利益となるのです。― 中略 ― この命を終えた人が、まだ次の生まれ変わり先が決まっていない時、四十九日の間は、片時も休むことなく常に親族が自分のために功徳を作って、苦しみから救い出してくれることを待ち望んでいます。そしてこの期間を過ぎた後は、自らの生前の行い(業)に従ってそれぞれの報いを受けるのです」
とあります。
このような中陰の考え方は、十王信仰と密接に結びついています。
十王信仰とは、初七日は秦広王(しんこうおう)、二七日は初江王(しょこうおう)、三七日は宋帝王(そうていおう)、四七日は伍官王(ごかんおう)、五七日は閻羅王(えんらおう)、六七日は変成王(へんじょうおう)、七七日は太山王(たいざんおう)、百日は平等王(びょうどうおう)、一年は都市王(としおう)、三年は五道転輪王(ごどうてんりんおう)の裁断を受けて、それぞれ生前の行業に応じた生処が決定するという信仰です。
そこで生者が亡者のために追善供養すれば裁断が有利になり、善い所に生まれることができるというのです。
十王信仰は、中国の六朝時代に始まり、宋代にかけて成立したものですが、平安時代末期には『地蔵菩薩発心因緣十王経(じぞうばさつほっしんいんねんじゅうおうぎょう)』が作られていることからしても、日本にも古くから伝えられたことが窺えます。