【百ヶ日・一周忌・三回忌】
百ヶ日、一周忌、三回忌の起源をたどってみると、玄智(げんち|本願寺派の学僧)の『考信録』に
百ヶ日・一周忌・三年忌の事も中夏にある儀にして儒礼に倣ふなり。
百ヶ日や一周忌、三年忌(三回忌)といった法要も、もともとは中国に由来する儀式であって、儒教の礼法を模倣したものなのです。
とあり、また慧琳(えりん)の『三餘随筆(さんよずいひつ)』にも
周忌三年は儒書に小祥(しょうしょう)大祥(たいしょう)とて、死者の凶事を月日を経れば古事にまつりなほすゆへに、小祥大祥の名あり。よつて他宗には其名を取て百ヶ日を卒哭忌と名け、一周忌を小祥忌と名け三年を大祥忌と名く。これより見れば百ヶ日、一周忌、三年忌は儒典の礼を取て仏法の経営をなし、法事を修すとみゆ。
一周忌や三年忌(三回忌)について、儒教の書物では「小祥(しょうしょう)」「大祥(たいしょう)」と呼んでいます。これは、死者に関わる凶事(不吉なこと)も、月日が経てば平常の祭り(吉事)として祀り直すため、このような名が付けられているのです。したがって、仏教の他宗派でもその名称を取り入れ、百ヶ日を「卒哭忌(そっこくき:泣き悲しむのを終える法要)」、一周忌を「小祥忌」、三年忌を「大祥忌」と名付けています。こうした点から見ても、百ヶ日や一周忌、三年忌というものは、儒教の礼法を取り入れて仏教の行事として仕立て直し、法要を執り行っているのだと思われます。
とあって、いずれもその起源を儒教に見ています。
儒教の礼の教範である『礼記(らいき)』(『新釈漢文大系29礼記』下p.878)には
父母の喪において、既に虞(ぐ)祭を行い卒哭(そっこく)したならば、粥をやめ粗飯と水の食事を取るが、野菜や果物は食わない。やがて一年して小祥の祭りを行えば、野菜や果物を食う。さらに一年して大祥の祭りを行えば、酢やみその類も用いる。そして大祥のあと一カ月して禫祭を行うが、これで喪が明けて酒を飲む。始めて飲むにはまず禮酒(れいしゅ|あまざけ)を飲み、始めて肉を食うにはまず乾肉(かんにく)を食う。父母の喪に服すれば、喪屋に住み、苦(こも)をかむり土くれを枕とし、常に麻帯をしめる。また斉哀(しさい)の喪に服すれば荒壁の室に住み、蒲(がま)の耳なしのむしろに寝る。大功(たいこう)に服する人は、居間で床に席を敷いて寝る。小功と總麻(しま)の人は居間で寝台に寝てよい定めである。こうした差異は、喪に服する人の悲哀の大小に応じて設けられた居所の定めである。
父母の喪に服する際、遺りをお慰めする「虞祭(ぐさい)」を終え、泣き悲しむ期間を終える「卒哭(そっこく)」を迎えたあとは、お粥をやめて粗末なご飯と水だけの食事に切り替えますが、野菜や果物は食べません。その後、一年が経過して「小祥(しょうしょう)」の祭りを行えば、野菜や果物を食べ始めます。さらに一年経って「大祥(たいしょう)」の祭りを行えば、酢や味噌などの調味料も用いるようになります。そして大祥の翌月に「禫祭(たんさい)」を行いますが、これをもって喪が明け、お酒を飲めるようになります。ただし、初めてお酒を飲む際にはまず甘酒(禮酒)を、初めてお肉を食べる際にはまず干し肉から食べるようにします。 また、住まいについても決まりがあります。父母の重い喪に服する期間中は、粗末な喪屋(もや)に住み、薦(こも:粗く編んだ敷物)をかぶり、土の塊を枕にして、常に麻の帯を締めて過ごします。父母以外の近親者の喪である「斉哀(しさい)」に服する場合は、荒壁の部屋に住み、縁取りのない蒲(がま)のむしろの上に寝ます。さらに少し遠い親族の喪である「大功(たいこう)」に服する人は、居間の床にむしろを敷いて寝ます。さらに遠い親族である「小功(しょうこう)」や「總麻(そうま)」の喪に服する人は、居間の寝台(ベッド)で寝てよいと定められています。 このような生活様式の違いは、喪に服する人が故人を想う悲しみの深さ(親等の近さ)に応じて設けられた、居場所に関する決まりなのです。
とあります。これによれば、父母が亡くなって一年後に小祥の祭りを行い、二年後に大祥の祭りを行うとあって、これはちょうど一周忌・三回忌に当たります。
宗鑑(しゅうかん|中国南宋の学僧)が嘉熙(かき)元年(1237)に編集した『釈門正統(しゃくもんしょうとう)』巻4によれば
百日とそれ大小祥との類のごときは、皆儒禮に託して因て出世の法を修すのみ。
(したがって、)百ヶ日や小祥・大祥(一周忌や三年忌)といった法要はどれも、儒教の作法に形式を借りて、それをもとにして仏教としての行事を執り行っているにすぎないのです。
とあり、また志盤(しばん|中国南宋末期の天台僧)撰で、中国天台宗の立場から仏教の歴史が綴られている『仏祖統紀』巻33にも
今人に至りて百日・小祥・大祥、仏事を挙行すること有るは、儒家喪制の文に因ると雖も、而も能く釈門奉厳の福を修す。信ぜざるべけんや。
今の人々が百ヶ日や一周忌、三年忌として仏事(法要)を執り行っているのは、もとを辿れば儒教の喪服制度の教えに由来しているとはいえ、それでも人々は、仏教の教えを尊び厳格に守るという素晴らしい功徳をしっかりと実践しているのです。この尊い事実を、どうして信じずにおられましょうか。深く信じるべきなのです。
とあって、既に中国において、もともと儒教の喪制であったものを仏事として取り込み、百ヶ日、一周忌、三回忌が営まれていたことを示しています。
これを受けて、わが国においても、四十九日または一周忌の仏事である果の業(はてのわざ)が平安時代から行われていました。平安時代中期の作品である源氏物語には、
きのふ、今日と、思ひ給ふるほどに、御はても、やうやう近うなり侍りにけり。いかやうにか、おきて思し召すらん。
「昨日、今日」と日を送っておりますうちに、あっという間に忌明け(四十九日)の法要も近づいてまいりましたね。法要の段取りについては、どのようにご準備なさろうとお考えでいらっしゃいますか。
と記されています。以上のことより、百ヶ日・一周忌・三回忌の起源は儒教の影響によると思われます。