「苦」は喜びの種

「四苦八苦」という言葉があります。「困難な仕事に四苦八苦する」「四苦八苦してレポートを仕上げた」などと日常的に使いますが、これは仏教から生まれた熟語です。

お釈迦さまは、人間が生きているかぎりついてまわる根源的な苦として、8つを挙げられました。まず、生・老・病・死の四苦があります。次いで、愛する人と別れなければならない「愛別離苦(あいべつりく)」、怨み憎んでいる嫌な人と会わなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めるものが思うように得られない「求不得苦(ぐふとくく)」、人間の精神と肉体(五蘊|ごうん)が思うままにならない「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の4つ、あわせて八苦です。

「苦」といえば、よく知られている格言に「楽は苦の種、苦は楽の種」があります。今の楽は将来の苦労に通じ、今の苦労は将来の楽に通ずるから、つらくても投げ出さずに頑張りなさいという教えです。苦労はいずれ「楽」につながるかもしれませんが、仏教でいうところの「苦」は、この格言の「苦」(苦労)とは違います。仏教が説くのは、苦労の「苦」ではなく、自分の思い通りにならない人間の本質的な「苦」です。ですから、「楽」の種になることもありません。

こう書くと、何か絶望的な感じがするかもしれませんが、むしろ「苦」があるからこそ、その中に何かよいことを見つけ出すことに喜びがあるのです。お釈迦さまは、逃れ得ない「苦」に心を占領されてしまうのではなく、「苦」と向き合い、「苦」から心を解き放つことをすすめられました。例えば、老病死に直面し、まさに四苦八苦しているときには、親身になって助けの手を差し延べてくれる存在のありがたさが分かります。また、それまで気がつかなかったことに、苦しみを経たことで気づき、そこから新しい世界が開かれることもあります。

学校や職場で嫌な人と顔を合わせるのがつらいという苦しみは、「怨憎会苦」です。人間には解決できない「苦」であると考えられれば、深刻に思い悩んでも仕方がないと思えるでしょう。そして、「人生についてまわる苦だ」と受け止めたうえで、相手と上手く付き合っていく工夫をするか、または、その人とは付き合わなくてもよい環境を作っていけば、人間関係についてそう深刻に悩まなくてもよくなるのかも知れません。

四苦八苦しながらでしかこの世で生活していけないのが、私たち人間です。その「苦」を苦しむだけで終わらせず、「苦」と向き合い、「苦」を知ったことを契機として、新しい方向への転換を模索することで、「苦」の中にあっても、多くの縁に支えられて生きる喜びを見つけだしていきたいものです。その根源には、苦悩する者こそ救わなければならないという、仏さまの大きな慈悲のこころがあるのです。

〈『人生は価値ある一瞬』より〉

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2017年12月01日