遠い異国の海辺の村でのこと。丘の上の砲台で、毎日きっかり正午に号砲が鳴り、誰もがそれで時間を合わせるのが何百年もの習わしになっていました。時の流れは一定の速さで進み、仕事からデートの約束に至るまで、あらゆることを計画するのにこの号砲が使われていたのです。
ある日、一人の少年が疑問を抱きました。「あの大砲はどうやって正午だとわかって鳴るんだろう?」。
彼は砲兵に尋ねました。「どうやって毎日ちょうど正午に号砲を鳴らしているんですか?」
「隊長の命令さ。隊長が一番正確な時計を管理しているんだ」
それを聞いた少年は隊長のところへ行き、尋ねました。
「じゃあ、この時計はどうやって合わせるんですか?」
「週に一度、町へ行くときに、時計屋のショーウインドウに飾ってある立派な大時計に合わせるんだ」
次の日、少年は時計屋を訪れ、「あの大時計はどうやって時間を合わせているんですか?」と尋ねました。時計屋はこう応じました。
「そりゃあ、このあたりの誰もが使ってきた一番確かな方法だよ。正午の号砲で合わせるのさ!」
私たちの物差しである「常識」を風刺している寓話です。多くの人が、「常識」なるものを拠りどころとして生きています。その常識によって新しい常識が生まれますが、実際にはその時代や地域だけの常識に過ぎません。私たちはその物差しの不確かさに、なかなか気がつかないものです。
仏教では、私たちの常識の世界を「嘘」「偽り」「中身のないこと」と教えます。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は「真実のさとりをひらいた仏さまの言葉こそが、すべての人の究極の拠りどころ(畢竟依|ひっきょうえ)である」とおっしゃいます。
私たちの常識は時代や地域で簡単に変わります。しかし、「いつでも、どこでも、どのような状態にあっても、私の支えとなってくださる〝教え〟〝はたらき〟〝ぬくもり〟」こそが阿弥陀如来という仏さまです。「変わりどおしの私が変わらない私になる」のではなく、変わっていく私をそのまま受け入れてくださる阿弥陀如来の大悲にゆだねて生きていく道が浄土真宗です。
翌月の言葉