お盆1

東京ではお盆の季節となりました。一般的には8月13~16日の期間を指しますが、東京は7月13~16日であったり、地域によって時期は様々のようです。


さて、このお盆という仏教行事にはどういった由来があるのでしょうか。
実はお盆というのは略称で、正式には盂蘭盆(うらぼん)といいます。じゃあ盂蘭盆ってどういう意味がある言葉なのかというと、私が知る限りは語源について3つの説があります。

①古代インド語であるサンスクリット語のullambana(ウランバナ)に漢字をあてたもの。ullambanaは、「倒懸(とうけん)」といって“逆さまに吊されること”を意味する。

②古代イラン語であるアヴェスター語のurvan(ウルヴァン)を語源とするもの。uruvanは、「霊魂」を意味する。

③盂蘭はサンスクリット語で「ご飯」を意味するodana(オーダナ)の口語形であるolana(オーラナ?)に漢字をあてたもの。「盂蘭盆」とは「ご飯をのせた盆」を意味する。

昔から言われてきた説は①のようですが、盂蘭盆がテーマになっている『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』の全文をちゃんと読んでみると、


③がしっくりくるように思います。詳しく知りたい方は下をクリックしてください。

詳しく知りたい人は

(1)自恣の行事と在家者の供養

「お盆」という呼び名は、もともと竺法護(265?~311年に翻訳に従事)の訳したとされる『盂蘭盆経』に由来する「盂蘭盆」が省略されたものである。

『盂蘭盆経』には、人々が、現世の父母と過去七回の生存における父母を、親孝行によって死後の苦しみの世界から救済したいなら、自恣(雨安居の終わりの行事)が行われる7月15日、おいしい飲食物をお盆にのせて、自恣の行事に参加するために十方からきた僧侶たちに施しなさいということが説かれている。そして、そのような食べ物を「鉢和羅飯」(プラヴァーラ[ナー]飯:自恣のご飯)とも「盂蘭盆」とも呼んでいる。

さて、インドの雨期は、暑季の後で、新緑を生じ、生き物が繁殖する時期である。この季節に外出すると、草木や生き物を害するかもしれないし、川の氾濫・洪水による危険もある。そこで、仏教徒は、古代インドの暦(新年は西暦の3月中旬から4月中旬頃)で4月15日(西暦の6~7月頃)あるいは5月15日(西暦の7~8月頃)から3カ月間、洞窟や寺院内に留まり、修行に専心した。これを雨安居と呼ぶ。この習慣は雨期のない中国にも伝わったが、暦を、数字はそのままに、古代インド暦から中国の太陰暦に変更したので、東アジアでは旧暦の4月(西暦の5月)から3カ月間が雨安居の時期となっている。

この雨安居の最終日、すなわち古代インド暦の7月15日(西暦の9~10月頃)もしくは8月15日(西暦の10~11月頃)に行われるのが、自恣(プラヴァーラナー)である。この日には、僧侶たち一人一人が、雨期の間に犯した罪を全員の前で告白し、許しを乞う。

パーリの律典には、自恣の日に、僧侶たちが滞在している場所に地元の人々が来て次々と贈り物をしたとある。根本説一切有部の自恣を述べた『随意事』には、自恣の日に、王・妃・王子・大臣や庶民が僧院を訪れ、僧侶たちに衣や飲食物を施し、僧侶たちは一晩中法話をして彼らを喜ばせるとある。また大衆部の『摩訶僧祇律』には、町では自恣の日に布施があり、終夜説法がなされたと伝えている。

さらに、6世紀後半に25年間インドに滞在した義浄(635~713年)は、その有名な『南海寄帰内法伝』(691年)の中で、インドの自恣の行事について詳述している。

「十四日の夜に経師が高座に上ってお経を読誦する。信徒も僧侶も雲集し、灯明が絶えずともされ、香や花が供養される。翌朝、みなで町や村を巡って仏塔を礼拝する。山車に(仏)像を載せ、音楽をならし、幟や覆いは日をも覆うほどである。お昼前になって寺に戻り、お昼に盛大な食事の供養を執り行う。午後、出家者が全員集まって、雨安居中の罪を告白する。その後、在家の人々が布施してくれた物、例えば衣服や小刀、針などをみなで分配する。この行事が終わると、出家者たちは、それぞれに旅立つ」と。

このように古代インドでは、自恣の日に、在家の人々が僧侶たちに布施をする習慣があったのである。『盂蘭盆経』が説いているのも、この行事に他ならない。

東南アジアの諸国では、今日でもこの自恣の行事が行われている。タイではワン・オークパンサー(Wan Ok Phansa:雨安居を出る日)といい、ラオスではブン・オークパンサー(Boun Awk Phansa)と呼ばれる。古代インド暦の7月すなわち西暦の10月の満月の日に行われ、重要な仏教行事とされる。地域によって違いがあるが、早朝、在家信者は寺を訪れ、飲食物や生活必要品などを布施して功徳を積み、それに応えて僧侶は説法をする。夕方には、ロウソクを灯して寺や塔の周りを回ったり、バナナの茎や葉で作った「小舟」にロウソクや花で飾りつけ、川に流す。

このように東アジアの盂蘭盆と東南アジアのワン・オークパンサーなどは、いずれも、釈尊の時代に規定されたように、7月15日の自恣の日を祝っている(日本ではこのことはすでに意識されていない)。しかし、東南アジアでは古代インドの暦に基づいて行われるのに対し、東アジアでは中国の太陰暦に従っているので、2カ月の差があり、これらが同一の行事ということに気付く人は少ない。

(2)孝行、現世と過去世の父母の救済

『盂蘭盆経』に見える親孝行と、現世や過去世の父母を救済するという考えは、古代インドの仏教文献にも見られるものである。パーリ聖典の『シンガーラへの教え』には、両親にいかに孝行すべきかが述べられている。また、インドやパキスタンで出土する仏教碑文にも、亡くなった父母の供養のために僧院や像などを寄進したと記されている例は少なくない。パーリ聖典の『ペータヴァットゥ』(餓鬼たちの物語)の第14話「舍利弗尊者の母餓鬼物語」や『アヴァダーナ・シャタカ』という梵語の説話集の第45話などには、遺族が、餓鬼となった父母たちの名義で、僧たちに布施をすると、その功徳で父母たちが餓鬼の世界から天上に生まれ変わった話が説かれている。

(3)盂蘭と盂蘭盆の意味

多くの解説書は、「盂蘭盆」とは「倒懸」の意味であるという、唐代の玄応著『一切経音義』(650年)の解釈を載せている。玄応は梵語の知識はあったが、インドの口語の知識はもっていなかったようだ。釈尊の時代から紀元後3世紀頃までは経典は概ね口語で伝承されていた。口語原典から訳された古い漢訳経典の難語・音写語を、梵語だけの知識で解釈するのは誤りである。玄応の「盂蘭盆」の解釈も的が外れている。

『盂蘭盆経』(本来は『盂蘭経』であり、7世紀から『盂蘭盆経』と呼ばれ始めた)に、「盂蘭盆」という語は三度出る。

①(僧侶たちに)盂蘭盆を捧げなさい(応奉盂蘭盆)

②(自恣の日に)百味の飲食物を盂蘭盆の中にいれて(僧侶たちに施しなさい)(以百味飲食安盂蘭盆中)

③(毎年7月15日に)父母のために盂蘭盆を作って、仏と僧侶たちに施しなさい(作盂蘭盆施仏及僧)

この三つの語句から、自恣の日に僧侶たちに施す、食べ物を盛る容器、またその食べ物自体を「盂蘭盆」といっていることは明らかである。従って「盆」は容器としてのお盆という通常の意味に他ならない。「盂蘭」は原語の音を転写した音写語で間違いなかろう。「盂」と同じ母音の音価をもつ漢字に「瞿」がある。瞿曇(Gotama)のように、古くは、原語のgoの音写に使われた。従って「盂」も o の音写と考えられ、「盂蘭」という音写からolan(a)という原語が推定できる。

ところで、南方仏教の国々のみならず、東アジアでも、自恣の日には、ご飯が捧げられている。ご飯、梵語やパーリ語でodana(オーダナ)は、釈尊の時代から今日まで僧たちに施され続けている。梵語のdaは口語ではしばしばlaと発音される。「盂蘭」は梵語odana(ご飯)の口語形olanaの音写ではなかろうか。音写された理由は、ただのご飯ではなく、自恣の日に僧たちに施されるご飯であるということを示すためだったと推定される。そして「盂蘭盆」とは「ご飯をのせた盆」の意味と考えられる。

従って、この経典の本来のタイトル『盂蘭経』は「オーダナ経」すなわち「(お供えの)ご飯経」であり、『盂蘭盆経』は「(お供えの)ご飯をのせた盆の経」の意味と推定される。

(4)盂蘭盆経は偽経ではない

近代においては『盂蘭盆経』は中国で作られた偽の経典だと見なされてきた。しかし、上に見たように、その内容と思想はインド仏教に基盤がある。

この経典に見える漢語語彙は、鳩摩羅什の訳した経典(401~413年に訳出)に見えるものよりも古風で、竺法護の用法に似ている。この経は偽経ではなく、3、4世紀に竺法護か誰かによって、インドの原典から訳された経典である。

〈引用『中外日報(「盂蘭盆」の本当の意味 ―「ご飯をのせた盆」と推定)』辛嶋静志〉

「お盆」とは、「盂蘭盆」の省略語で、「ご飯をのせた盆」という意味があることが分かりました。


では、どうして「ご飯をのせたお盆」を意味する「盂蘭盆」が、ご先祖さまを偲ぶ夏の仏教行事となったのでしょうか。次回はその理由を、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』の内容を読んで考えたいと思います。

合掌

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2017年07月13日