領解文7

「領解文」という呼称については、 慶証寺・玄智が著した著『大谷本願寺通紀』の1784(天明4)年の項に「三月領解文ヲ梓行ス」とあるものが最初と考えられています。しかしこのとき出版された本は現存していません。


「領解文」が広く流布するようになったのは、1787(天明7)年に本願寺第17代の法如上人による証判本を「領解出言之文」と名づけて出版されてからのことです。


証判本には当時の文如新門が次のように跋文(あとがき)を記しています。

[右領解出言の文は、信証院蓮如師の定めおかせらるるところなり。真宗念仏行者、すでに一念帰命、信心発得せる領解の相状なり。このゆゑに古今一宗の道俗、時々仏祖前にしてこの安心を出言し、みづからの領解の謬りなきことを敬白するなり。しかるにこのごろその後生の一大事を軽忽し、みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解もなく、またこの領解文をも記得せざる類あり。あるいは記得し出言しながら、心口各異にして慚愧せざるのものあり。はなはだ悲歎すべきところなり。こひねがはくは一宗の道俗、この出言のごとく、一念帰命の本源をあやまらず如実相応して、すみやかに一大事の往生を遂ぐべきものなり。このゆゑにいまひめおきし蓮師(蓮如)の真蹟を模写し印刻して、家ごとに伝へ、戸ごとに授けて、永く浄土真宗一味の正意を得せしめんと思ふものなり。][天明七丁未年四月][釈文如これを識す](花押)

「領解文」が蓮如上人によって著されたことや、ここに記された内容を仏祖の前で出言すべきことが述べられています。


この跋文については、実際には第六代 能化の功存が校閲者として作成に関わっていたことが、玄智により指摘されています。

当時は第6代能化・功存の三業帰命説によって学林(僧侶養成機関)と本願寺とが揺れ動いていました。
『領解文』の公布の背景には功存の強いはたらきかけがあったことが当時の資料に残されています(『真宗安心争訟紀事』)。

特にこの跋文では全体的に「彌陀をたのむ」「一念歸命」ということが強調されている点に注目です。後に三業惑乱(1797~1806)を経て、本願寺第19代本如上人は『御裁断御書』『御裁断申明書』において、「彌陀をたのむ」とは蓮如上人が他力の信を示されたものであることを明らかにしています。

 

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2023年08月01日