梵鐘①

お寺の寺報用に稱名寺の梵鐘(ぼんしょう)について調べました。


稱名寺の梵鐘は、境内正面にある本堂の上に設置されています。


鐘のある鐘楼堂に続く梯子や階段がないので、関係者しか辿り着くことはできません……。


梵鐘の表面には漢文で銘文が書かれています。


かなり読みにくかったのですが……頑張って解読しました。


【お寺の基本情報】

○このお寺の名称は「廣國山 一心院 稱名寺」で、所在地は小石川です。

○境内は古くから拝領している土地で、その中には門前町(お寺の前の町屋)が含まれています。

【歴史と移転の経緯】

○稱名寺は駿河国(するがのくに)庵原郡(いほはらのこおり)府中(ふちゅう)横内村(現在の静岡県静岡市葵区)で創立しました。

○創設者は不明です。開山は親鸞聖人の門弟である西念法師(生没年不詳)です。

○東照宮(徳川家康)とともに駿府から江戸へ下り、牛込の田安に土地を与えられました。

○その後、江戸城の総外堀の建設工事に伴い、寛永元(1624)年3月に小石川金杉に代わりの土地を与えられました。

○元禄11(1698)年10月、寺社奉行の松平重栄の命により、お寺の土地の内、約42.75坪(42坪7合5夕)は従来通りの門前町屋とされました。

○同じく元禄11年、境内周辺の30坪が幕府の御用地として没収され、代わりに小石川諏訪町の東側に土地を与えられました。しかしそこも再び御用地として没収され、寛延2(1749)年3月になって、ようやく護国寺の裏手にある小川惣左衛門の屋敷地から元の広さの土地を賜りました。

【建物とご本尊】

○開基である西念法師は4月9日に入寂(死去)しました。詳細な生没年は不明です。

○本堂は7間4面の広さで、向拝(ごはい)が付いています。

○ご本尊は阿弥陀如来の木造立像です。

○鐘楼堂には大きな鐘があります。

【宝物と大鐘の銘文】

○浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は藤原氏の出身で、比叡山で学んだ後に黒谷(法然)の門に入り、専修念仏を修めたため北陸へ流罪となりました。赦免された後も険しい道を越えて諸国を巡り歩いて教化し、浄土真宗のご法義を広め、京都で亡くなってから500年が経過しました。

○今日、出家者も俗人もその恩恵を受けていない者はなく、その広大な徳に報いるために大きな法会(親鸞聖人500回大遠忌法要)を催すことになりました。

○このお寺は慶長年間(1596〜1615年)に駿河からこの地へ移ってきましたが、火災に遭って建物や宝物がすべて灰になってしまいました。歴代の住職が修復に努めて少しずつ整ってきたものの、大きな鐘が未だになく、親鸞聖人報恩の法会を行うのに支障があったため、檀家と協力して鐘を再鋳造しました。これが祖先の徳を助け、仏事を支え、仏法を弘め、少しでも恩に報いる道です。

(偈文):天地は清らかで、谷には霊気が満ちています。大鐘の音が響き渡ると魔界を震わせ、仏法を厳重に守り、悪を退けて名声を広めます。これこそが阿弥陀仏の悟りの大音声であり、人々の苦悩を取り除き、生死の迷いの眠りから覚めさせるものです。

○この大鐘は宝暦10(1760)年3月に鋳造されました。

○武蔵国豊島郡江戸小石川 広廣國山 一心院 稱名寺 第17世住職 辨惠の代によるものです。

○鋳造職人は「鈴木播磨大掾(すずきはりまだいじょう)藤原定久(ふじわらのさだひさ)」です。

【その他の宝物】

○開山親鸞聖人の古い御影があります。

○この御影には本願寺12代門主の裏書きがあり、「慶長17(1612)年9月13日、西寺(西本願寺)の門徒である駿州伊原郡府中横内称名寺の常備の宝物である」と記されています。



以上です。稱名寺の梵鐘は今から266年前、私(27代目)からちょうど10代前の住職の時代に作られたもののようです。

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2026年08月21日