7月から8月にかけて全国各地では「盂蘭盆会(うらぼんえ)」がつとまります。
先立った方を偲ぶことを御縁として、遺された一人ひとりが仏法を聴聞する期間です。
『仏説盂蘭盆経』の記述と、仏教以前からあった日本の民俗信仰が結びつく形で生まれ、日本では約1400年前から執り行われるようになりました。
一般的には「亡くなった人が私たちの元へ帰ってくる期間」といわれ、亡き人が迷わずに行き帰りをできるように、迎え火や送り火、ナス・キュウリで作った精霊馬を遺族たちは準備します。
浄土真宗では、「阿弥陀如来の救いに与(あずか)った人は、いのちを終えて浄土に生まれる」と説きます。
つまり、亡き人を「目印となる灯りや、乗り物となる馬を準備しないと帰ってくることができない迷いの存在」とは考えません。
そのため、お盆だからといって特別な準備をしないのが浄土真宗の特徴……ですが、稱名寺をはじめとした浄土真宗のお寺では、お盆の期間中に「亀甲(きっこう)灯籠(切子灯籠)」を吊します。
今年も仏具の業者の方と一緒に設置しました。
亀甲灯籠は、切籠(きりこ)灯籠や盆灯籠とも呼ばれます。
全体が切籠形(菱形四面と三角形八面に紙をはる)で、細かく切った紙の裳(も)を長く垂らした灯籠です。
江戸時代の学僧・玄智(げんち)の『考信録(こうしんろく)』によれば、お盆の灯籠は中国に起源があり、それが日本に伝わってお盆の風習として定着しました。
そして本山である今日と・西本願寺でも、世の中の風習にならいつつ、その意味するところを仏さまへのお供え(讃嘆供養|さんだんくよう)へと転換して、お盆の灯籠を用いるようになったということです。追善供養や「霊」をお迎えするといった意味ではないというところが重要です。
西本願寺の灯籠は京都のお盆の風物詩となり、灯が点(とも)された灯籠を見物するたくさんの人で境内は賑わっていました。
全国の一般寺院でも盂蘭盆会の期間中は、切子灯籠が独特の雰囲気を漂わせながら、皆様のお参りをお待ちしています。
余談ですが、『考信録』では、京都でのお盆の灯籠について、「疑うべし」としつつも、こんな俗説を紹介しています──明智光秀が京都の政務にあたった際、税の減免措置を行った。それに感謝して京都の人々は亡き光秀のために灯籠を点すのだそうな──。
敗者への眼差しとか、都人(みやこびと)のたくましさとか、色々なことを考えさせられるお話ではあります。〈『季刊せいてん no.123』より〉
合掌