間もなく東京のお盆に入ります。
西本願寺の施本の中にいつもお世話になっている福間義朝先生の文章が掲載されていました。
(前略)
この盂蘭盆経について、私の解釈を記させていただきます。
餓鬼の世界で苦しむお母さんは、目連そのものの姿だったのではないでしょうか。
地獄や餓鬼、畜生とは、自分の外にあるものではありません。それらが自分の内にあることを知らされてゆくのが仏法です。
親鸞聖人は『正像末和讃』に
悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる
と述べられています。これは光に照らされたのお言葉です。光に照らされるほどに、自らの中の闇を知らされてゆくのです。
生きるために他のいのちを奪い取り、他者を押しのけて生きているのが私なのです。
(中略)
阿弥陀仏のお慈悲は生きてゆくなか、食べてゆくなかで餓鬼とならざるを得ないものをも包みこむはたらきです。
目連の母は餓鬼の姿になって、目連自身が餓鬼であると知らせてくれたのです。
そんな我が身を救う阿弥陀仏の慈悲の深さを知らされたとき、目連は観喜しました。
すると餓鬼の世界の母は消え、目連は喜びのなかでみんなに食事を捧げ、その喜びを分かち合ったのではないでしょうか。
お盆とは、阿弥陀仏のお慈悲の深さを改めて味わう仏事です。〈福間義朝『お盆』「お盆に想う」〉