今の「自分」以外の「自分」なんて どこにもいない

「自分探し」という言葉は、いつごろから使われだしたのでしょうか。
この言葉には、「今の自分は本当の自分ではない」という焦りに似た思いと、「どこかにもっと素晴らしい本当の自分があるはずだ」という願望とが込められているように感じます。

しかし、探して簡単に見つかるような「自分」が、今の自分の他にあるのでしょうか。
「自分」とは、何かに取り組んで成長し、人生を充実させていくそのものをいいます。
焦って「今」を否定したり、「今」以外のどこかに「自分」を探して迷うより、「今」にしっかりと向き合うことが大切なのです。

「自分探し」という言葉が出てきた理由は、社会や親から「自分らしさを持て」「自分の個性を出せ」と言われ続け、そうした期待やプレッシャーに応えなければとする若い人の反応なのかもしれません。

しかし、「自分の個性を出せ」と言う同じ口で、親も社会も「目立つことをすると周りに嫌われるからやめなさい」と没個性を要求するのですから矛盾しています。

ある小学校で「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの詩を各クラスに貼ることになりました。「それぞれの個性を尊重しましょう」ということです。
ところが、どのクラスでも教室の同じ場所、同じ位置にその詩は貼ってあったといいます。
本当に「みんなちがって、みんないい」であれば、それぞれ好きなところに貼ればよさそうなものなのに、どの教室も寸分違わない場所に貼ってあったというのです。

その学校では「みんなちがって、みんないい」と、いかにも生徒たち一人ひとりの個性を認めるかのように見えて、実際にやっているのは「ここに貼りなさい」と型にはめることだったのでした。

「自分」などというものは常に流動的です。「今の自分はこうだ」と言えても、次の日はまた違った面が出てきてもおかしくありません。「自分はこうだ」とあまり固定的にとらえず、また「自分探し」などという言葉に影響されずに生きる方が賢明です。

〈参考『人生は価値ある一瞬』より〉

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2019年02月01日