人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。[『仏説無量寿経』より]

むかしむかし、あるところに3人の妻と暮らすお金持ちの男がいました。

第一夫人は彼がもっとも愛する女性でした。いつも一緒に過ごし、夫人が「お腹がすいた」と言えばご馳走を食べさせます。
上等な着物を着せ、病気になれば薬を与えて、至れり尽くせりのかわいがりようです。

第二夫人は知恵を絞り、他の男たちと争ってようやく手に入れた女性でした。とても美しい女性だったので浮気をされないように気を配り、家に帰ると鍵のかかる部屋に入れて見張っていました。

第三夫人はたくさんのお金をかけ、面倒を見てきた女性です。嬉しいときには喜び合い、悲しいときには慰め合い、励まし合うような仲でした。

男は3人の妻と楽しく暮らし、自分の両親とはほとんど関わる機会はありませんでした。

あるとき、男は遠くへ長旅に出ることになったため、第一夫人に旅の同行を命じました。しかし「あなたは私を大切にしてくださいましたが、その旅にご一緒することはできません。一人で旅立ってください」と断られます。

次に第二夫人に聞くと「あなたは私を必要としましたが、私にあなたは必要ありません」と断られました。

さらに第三夫人からは「一緒に行くことはできません。でもあなたにはお世話になりましたので、旅立ちのお見送りはいたします」と返答がありました。

その様子を見ていた男の両親は彼に告げました。「私たちはあなたが生まれる前から、何よりも大切にあなたのことを思ってともに過ごしてきましたよ。私たちが一緒に旅に出るから大丈夫。安心してね」。

この物語はお経に出てくる譬え話が基盤となっています。男は「私たち(人間)」を表し、第一夫人は「身体」、第二夫人は「財産」、第三夫人は「人間関係」、長旅は「死」、両親は「仏さま」を表しています。
人間は死ぬときは誰もが独りです。大切にしてきた身体も財産も持っていくことはできません。身近な関係の人がお葬式などで見送ってくれるかもしれませんが、それまでです。一緒に棺に入って死んでくれる人はいません。

一方で、阿弥陀如来という仏さまは「南無阿弥陀仏」とお念仏のすがたとなって、常に私とともにいてくださる仏さまです。

元気なときには目に見えるものばかりを追い求め、「仏法など聞く必要がない」と考えるかもしれません。

しかし社会の価値観やインターネットの情報に振り回されて生きるだけの人生はむなしいです。この人生において本当に大切なものが何なのかを仏法の中に聞かせていただきましょう。

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2025年04月01日