ご報謝


食事をご馳走になった紫藤先生にお礼を伝えるため、稱名寺の朝の勤行を繰り上げ、築地本願寺の朝の勤行に参加しました。


朝の勤行後、紫藤先生の3分間のご法話がありました。

ある本に書いてあったのですが、「行動」と「行為」とは少し違うようです。
足を動かすことを「行動」、手を動かすことを「行為」というそうです。

動物は基本的に足しか動かさないので行動しかしません。といっても、チンパンジーやゴリラは手を動かすようですが……。

しかし、人間しかしない行為があります。それは合掌です。

他にも動物は、大体が下を向いて暮らすといいます。
「何か獲物はなかろうか」と地面を探すだけでなく、クンクンと匂いを嗅ぎますから、鼻が前へ長くなるのでしょう。
同じように、空を飛ぶ鳥も「何か獲物はなかろうか」と下を向いて暮らすそうです。

人間も動物のひとつですが、他の動物とは違ってもう少し前を見ることができます。
そうすると、周りの人がよく見えます。
だから人間は比べ合いが好きなんです。明けても暮れても比べ合いをしながら生きています。

しかし、そうした生活の中にあっても、この顔はもうちょっと上を見ることができます。

比べ合いを超えた世界──実は、仏壇はそのようにできています。
仏壇の前では、手を合わせていつもより上を見上げます。

私たちは仏さまの話を聞くことできる人間の世界に生まれることができました。

私たちの先輩はその仏さまの話を聞いて、生活の中に取り入れて実践し、豊かな心の世界を持っていたんじゃなかろうかと思うことがあります。
私は福岡市に暮らしています。たまに車に乗って郊外を運転していると、対向車がチカチカ、チカチカとライトで照らしてくることがあります。
「この先、ねずみ取りをやっているよ。気をつけろよ」の合図です。
あれは尊い行為ではないでしょうか。
どこのどなただか分からないお方が、どこの誰とも知らない者に「気をつけろよ。捕まるなよ」と知らせる行為は、
少なくとも人の痛みを我が痛みと感じ、人の喜びを我が喜びと感じることのできるお方の行為です。
これを仏教では慈悲といいます。
ところが、最近ではチカチカと合図をしてくれる人が少なくなりました。
これが受験教育の結果じゃなかろうかなぁと思うんです。

「捕まればいい」と、そこまで考えている人はよっぽど根性が曲がっていますが、どちらにしても人の痛みに無関心になってきたのでしょう。
「人は人、自分は自分。人の心配までしてやる必要はない」。

しかし、あのチカチカの行為が少なくなってきた頃から、世の中が息苦しくなったように感じます。
我々の先輩は仏さまの智慧を生活の上に実践してこられたんじゃないでしょうか。
そのことを浄土真宗では「ご報謝」といいます。

私たちも世間のことに執(とら)われ過ぎず、仏さまの思いを生活なかに取り入れて、ご報謝の生活、豊かな精神の生活を実践してみてはどうでしょうか。

合掌

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2018年06月10日