何が私を苦しめているのか 自分が握りしめている その物差しです

「自分らしさ」とはなんでしょうか。二千年以上前の古代ギリシャの哲学者アリストテレスの時代から現代まで人間は「自分らしさ」を求めてきました。
「自分らしさ」は時代や場所を超えて、大切な価値であり続けています。一方で、同調圧力によって空気を読むことが必要となり、自分らしさを表現しにくいのも事実です。

ある大学の講義でこの話題を取り上げ「身近な人と自分らしさについて話し合ってください」と課題が出ました。
ある学生が帰宅して自分の母親に「お母さんの自分らしさは?」と尋ねたところ、母親は「私にはないもの」と答えました。

学生はこのときの母親との会話について、課題に次のように綴っています。

お母さんはうつ病をわずらってきました。私はお母さんの自分らしさを本人に伝えられていませんでした。お母さんの自分らしさは……お布団から出られらない朝も『いってらっしゃい』と頑張って言ってくれたり、私が学校から帰ってきたときに『おかえり』と声をかけてくれたり、そういうことだと思う。

自分らしさは大切な価値である一方で、自分を苦しめる原因になります。
なぜなら本当の自分らしさを見つめたり表現したりするのが難しいからです。

面接で「あなたの自分らしさや長所、個性は?」と問われて、就活生は準備してきた答えを披露します。
面接官がつまらなそうに聞くのを見て、学生たちは傷つく……「自分らしさ」が選別に使われるのは残酷なことです。

阿弥陀如来という仏さまは「きわめて深く重い罪悪をそなえた衆生も見捨てない」とおっしゃいます。
「良い点」によって私が評価されて救われるのであれば「熱心な信仰心」や「多額の寄付」など、社会と同様に「良い点」を仏さまに見てもらおうとします。
しかし「自分らしさ」とは善悪を含むさまざまな尺度を超えたものであり、決して善良さ強さだけのことではありません。目立っている特徴や秀でた能力でもないのです。
劣っている部分、嫌だと感じている弱さ、考えたくもない特徴……それらも含めた全体が「自分らしさ」です。

自分がダメだと思っていることも、人間の尺度の中の話です。弱いところ、劣っていると思っている部分がときには輝くこともあります。
本当の自分らしさに目を向けられるのは、すべてをそのまま大切にしてくれる温もりがあるからです。自分らしさにとって大事なのは、誰かの温もりなのです。

だからこそ「決して見捨てない」という南無阿弥陀仏のお念仏の温もりは、本当の自分らしさを見出すまなざしを私たちに与えてくれます。

〈参考『心に響くことば』〉

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2024年01月01日