朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり

「朝(あした)には紅顔ありて 夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」。本願寺第八代宗主である蓮如上人が著された『御文章』収録の「白骨章」の一節です。
「朝には血色のよい顔で元気であっても、その日の夕方には白骨となって死んでしまう……それでも決して不思議ではないのが私のいのちの真の有り様ある」という意味です。

「白骨章」には人の世の無常(すべてのものが生滅変化してとどまらないこと)なるありさまが切々と綴られています。蓮如上人は五十代の半ばから近親者、とくに奥さまやお子さまを相次いで亡くされたことが、無常の厳しさを改めて痛感される機縁となられたのであろうといわれています。同時に無常を示されることで、まず仏道の基本となるところを教えようとされているのでしょう。

「生あるものは必ず死に帰す」「出会ったものは必ず別れる」、仏教の説く「無常」の真理は単純明快です。理解して感嘆する人もあれば、身近な方との別れを経験した際には深い共感を持つでしょう。

しかし本当に大切なのは「私の人生にも限りがある。そして次の瞬間も保証されていない。だからこそ今日の出会いを大切にして、この瞬間を無駄にしてはいけない」と、今現在の私自身の人生に深く関わっていることです。

例えば、病気の人であっても本人にその自覚がなければ薬を求めることはありません。自分には用のないものだと思っているからです。反対に病気に対する深刻な自覚があれば、遠く離れた病院にも足を運びます。二五〇〇年前、インドへお生まれになったお釈迦さまがそうであったように、自分のいのちが「限りあるいのち」であることの実感は、仏法を求めるひとつの大きなきっかけとなります。

いのちの問題は他人事ではありません。「生」と「死」について、「生」に強い光を与えて輝きが増すと、「死」の影が闇を深くしていきます。「生」がすべてであるという執着は、かえって「死」の空虚さを増幅していきます。

死を見つめることで、今の生の意味が問われます。元気なときに努力をして人間関係を築き、出世をして、名誉や地位、教養、知識、財産を身につけても、死を目の前にしたときにはまったく役に立ちません。
仏法を通じ、本当の意味で死の問題を解決した時に、今を生きる私の人生に真の輝きが恵まれるのです。

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2025年09月01日