拝む手に 伝わるみ名の あたたかさ(高木明義)

激しい世の中の移り変わりで、昔から伝わってきたことが次々に消えてゆきます。
良くない習慣も消えてゆきますが、美しい伝統文化もきえています。

その中で、かろうじて残っている伝統のひとつが「合掌」です。

お釈迦さまの生まれたインドでは、今も人間同士の日常の挨拶として「合掌」が用いられています。
日本の仏教は形の上で、インド以来の伝統を保っていることがわかります。

「中身が大事か、外見が大事か」という議論があります。
浄土真宗は「信心正因(しんじんしょういん)」といい、阿弥陀如来の仰せに順う心が根本です。どちらかといえば「中身が大事」に傾いているのかもしれません。

一方で、日本の伝統芸能や習い事は形を身につけてゆく中で心が育つと考えられています。
今日のファッションやお化粧なども、形を整えてこそ生きる自信が湧いてくるという考えがあるでしょう。

合掌の姿勢は挨拶だけでなく、阿弥陀如来や親鸞聖人への報謝の営み、他力の救いが私自身の身の上に現れた姿、お浄土に往生された先人を偲ぶときの姿、食前食後にいのちへ感謝する姿……さまざまな意味があります。

いつでもどこでも合掌ができるわけではありませんし、手の不自由な方もいらっしゃいます。

しかし、心の中であっても手を合わせ、南無阿弥陀仏とお念仏を申す日暮らしを大切にしていきたいものです。

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2022年06月01日